もう30年以上前。ある雑誌で、アメリカのキャンピングカーを見たとき、私は、自分の人生を決めました。いつかは自分のキャンピングカーを持って、そこに、いろいろな荷物を積み込み、旅に出る。 そう心に決めました。
ちょうどその頃、カルメンマキが『とりあえず……Rock’n Roll』という歌を唱っていました。
どこへ行きたいと聞かれたら どこへでも行くと答える ガガガ……学校行くよりも タタタ……旅に出よう どこまでも、どこまでも、走り続けるRock’n Roll……
そんな歌ばかり口ずさんでいた20代。 私の生き方も、まさに“Rock’n Roll”でした。 だから、学校をさぼって、よくヒッチハイクの旅に出たものです。
そのうち、私の心は、日本をさらに遠く離れて、アメリカまで飛ぶようになりました。
きっかけは、ボブ・ディラン。 ラジオから流れてきた『風に吹かれて』。
虚空に鳴る風のようなギター。 大草原を転がっていく枯れ草のような声。 ボブ・ディランの歌は、とてつもなく広がった大平原を男が一人で渡っていくときの「旅の歌」のように聞こえました。
地平線が見渡せるようなアメリカの大地に立って、私もまた風に吹かれてみたい……。 そんな思いが強まっていたときに、雑誌でアメリカのキャンピングカーを見たのです。
「そうだ! これに乗って旅をすればいいんだ!」
そんな思いが強まり、ついに自分でキャンピングカーを一台製作してしまいました。 今から30年ほど前のことです。
そして、いつの間にかそれが本業となり、以来、キャンピングカーを作り続けて来年で60歳を迎えることになりました。
仕事を始めた頃は、「アメリカで流行るものは、日本でも必ず流行る」。 そう思っていました。
なぜなら、アメリカで誕生したロックンロール、フォークソング、R&B……。 みな日本に輸入され、日本で大ブームになっていたからです。
もちろん本場のアーチストのレコードもたくさん出回りましたが、それに刺激された日本人のコピーバンドもたくさん登場しました。
きっとキャンピングカーも同じだ! 私は、そう思ったものでした。
当時アメリカでは、自動車の10台に1台がキャンピングカーだと聞いていました。 それならば、日本ではせめて100台に1台くらいは普及するだろう。
そう思いながら、キャンピングカーを今日まで作り続けてきましたが、まだまだ日本のキャンピングカーの普及率は、アメリカにもヨーロッパにも及びません。
しかし、普及率では欧米に至らない日本ですが、私が見るところ、日本のユーザーの方々は本当にキャンピングカーを上手に使いこなしていると思います。
30年前のキャンピングカーは、ある意味で、人に見せるためのクルマだったかもしれません。 同じ場所にみんなで集合し、そこから一緒になって目的地をめざす。 パレードのクルマでした。
でも、今はもうキャンプや旅行に使うためのクルマとして、しっかり定着しています。 犬を連れてフィールドへ乗り出す人もいれば、登山のベースキャンプとして使う人もいます。 ある人にとっては、キャンピングカーは温泉めぐりのベース基地であり、別の人にとってはバイクレースのトランスポーター。 また、仕事の道具をたくさん積んで、作業現場の移動ホテルとして使う人もいますし、ファミリーキャンプで、家族の絆を確かめ合うツールとして使っている方も大勢います。
日本のキャンピングカーは、ほんとうに様々な用途に使われ、人々のライフスタイルを確立する立派な道具の役目を果たしています。
それでも、私は、まだまだ日本には、キャンピングカーの楽しい使い方をご存知ない方々がたくさんいらっしゃるように思います。
欧米のキャンピングカー産業が、自国の経済を底上げするまで成長したのは、やはり、それだけユーザーの裾野が広がったからです。 彼らは、そのための努力を国を挙げて行いました。 行政は、各地に設備の整ったオートキャンプ施設を積極的に整えましたし、メーカーはメーカーで、キャンピングカー旅行の「奥行きの深さ」をことあるごとに広報してきました。
そのような、行政とメーカーが一体となった地道なインフラ整備と広報活動が、キャンピングカー産業の興隆と文化の育成につながったのです。
さて、日本はどうでしょうか?
30年前に比べると、日本のキャンピングカー産業の広報活動は比べものにならないほど成長したと思います。 大不況の影響を受けて、自動車メーカーがのきなみ低迷するなか、日本のキャンピングカー産業はきわどい落ち込みも見せず、現状維持以上の成果をあげて健闘しています。 ひとえにそれは、この間の広報活動が成功してきたからでしょう。
しかし、時代は、また新しい局面に入ったのではないか? 私は、そう思っています。
今後、キャンピングカー産業の広報活動をさらに強化するためには、いよいよ個々のビルダーさんやショップさんが、それぞれの拠点を足がかりに、業界全体の広報活動にプラスして、自分たちのオリジナル情報を加えていく時期に来ているように思います。
私たちの業界は、大手新聞やテレビのキー局を動かすような広報活動なら、もう立派なノウハウを確立しました。
次は「地方」を動かす番です。 それぞれの地方で活躍されるショップさんが、その地方の特色を生かしたキャンピングカーニュースを、独自に工夫しながら、地方のメディアに提供していく。
そのような「中央」と「地方」の連携強化こそ、キャンピングカーマーケットの裾野を広げることになると、私は確信しています。
私は、そんなつもりで、自分のホームページを作っています。 もちろん、そこでは新製品の紹介も行います。 しかし、大事なのは、「キャンピングカーは楽しいものだ」と理解してもらうための“物語の創造”だと思っています。 そのような「物語」があれば、地方のメディアは興味を持って、取材に来てくれます。
そのような「物語」を考えるきっかけとなったのが、ボブ・ディランの『風に吹かれて』でした。 私はそれにちなんで、この連載エッセイのタイトルを、『答は風の中』に決めました。
だから、風こそが、私に「物語」のアイデアを授けてくれる神様だと思っています。
The answer,my friend,is blowin’ in the wind. Answer is blowin’ in the wind
すべての答は、「風の中」。
【町田の感想】 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■
一つの歌が、その人の人生を決める。 もし、そんなことがあったなら、それはものすごく幸運な「人と歌の出会い」となることでしょう。 池田さんの今回のエッセイは、まさにその幸運な出会いを語っています。
『Blowin’ in the wind(風に吹かれて)』は、1963年に発表されたボブ・ディランのセカンドアルバムの中に収録された曲です。
「どれだけ多くの弾丸が飛んだら、弾丸は廃絶されるのか」 「どれだけ多くの死者が出れば、人は戦争の悲惨さが分かるのか」 などといったプロテストソングの特徴を持ちながら、 「どれだけ多くの空を見上げれば、人には空が見えるのか」 「どれだけ多くの耳を持てば、人々の声は聞こえるのか」 というような、哲学的な歌詞も混じり、詩人としてのボブ・ディランの存在を一躍高めた曲となりました。
では、それぞれの問いかけに、はたして答は用意されているのでしょうか?
ボブ・ディランは、ただ「答は風に舞っている」と繰り返すだけで、けっして「答」を語ることをしませんでした。 そのため、この問いかけに対しては、聞く人がそれぞれ自分だけの答を用意せざるを得ず、結果的に、すべての悩める人や考える人に普遍的なテーマを与えることになりました。
答をすぐに出すものを「ハウツーもの」、もしくは「ノウハウもの」といいます。 答を簡単に出さないものを「哲学」と呼びます。
「ハウツーもの」は結果だけを求め、「哲学」は、結果よりも考えることのプロセスを尊びます。 結果だけを求めたものは、時代が変われば、その成果も消えます。 しかし、考え方のプロセスが確立されていれば、どんな時代が訪れようと、その考え方自体が滅びることはありません。
ボブ・ディランは、そのような普遍的な「哲学」を、想像力あふれる「ポエム」として表現した詩人です。
今回のエッセイでは、池田さんは、キャンピングカーに関わるすべての人に、新しい広報活動のあり方を問いかけています。 しかし、同時にそれは、個々がそれぞれのスタイルに応じて答を出すべきものだとも語っています。 すなわち「答は風の中に舞っている」と。
カルメンマキさんも、歌の中で、「どこへ行きたい?」という問に対し、「どこへでも行く」と答えています。
どこへでも…。
そう、行く場所は、自分が決める問題です。
池田さんが好きな歌というのは、みな「答」を自分自身で探していくことをテーマにした歌なのかもしれません。 ご自身の生き方のように。
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