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vol.038 ブショー派 vs チミツ派

あなたの周りにも、不精で大ざっぱな性格の人と 心配りが緻密でこまめな性格の人の両方がいるはずです。不精(大ざっぱ)と緻密(こまめ)。 人間というのは、必ずそのどちらかの特性を強く引きずって生きているようです。 カミさんと出かけた時に、いつもそのことに気づかされます。


① 車でショッピングに出かけた時、店の入り口に近いか遠いかを考えず、とりあえず、車の一番入れやすい場所に止めてしまう。


② 芝生や草むらがあれば、ところかまわず寝転がる。


③ 食卓に並んだ料理は、メニューがなんであろうと、自分に一番近いものを食べ尽くしてから遠くの料理に移る。


…………以上3点、いずれもブショー派である私の行状です。


① 「雨が降っているのに、こんな遠い場所から入り口まで歩くの?」 ② 「ほらほら、ズボンやシャツが泥だらけじゃない」 ③ 「食卓に並んだ料理は、みんなの食べる分量を考えながら、均等にハシをつけていくのがマナーですよ」


…………以上3点、チミツ派であるカミさんが、不精な私を怒るときのセリフです。


やれやれ(汗)…です。 ところで、私のこのブショー(大ざっぱ)な性格は、どうしてできあがってしまったのでしょう? 最初は、次のように考えました。


登山歴20年。 素潜り歴20年。 そういう私の“輝かしい”アウトドア歴が、いつのまにか、雨も、泥も、焦げたハンゴウ飯も、すべて快適に感じるような感性を育てたのだと。


私は今まで「不精はアウトドマンの勲章」とばかりに威張っていたのですが、最近、どうやらそれは間違いではないかと思うようになりました。 単なるDNA(遺伝子)のなせるワザではないかと…。


私には2人の子供がいます。 2人とも幼い頃から海や山のキャンプに連れ出し、同じ暮らしの中で同じ会話をして育ててきましたが、一人は地面に必ずシートを敷いて座るタイプに。もう一人はその場でゴロン。 そう。 父方と母方のDNAをそれぞれ受け継いだだけのことなのです。


人が、このように生まれながらにブショー派とチミツ派に分かれているのは、たぶん神様が、人間にその両極を与えた方が、人間たちも退屈しないだろうと考えてくださったからなのかもしれません。


このブショー派とチミツ派が、それぞれの個性を際立たせるのが、フィールドにおいてです。 空と大地、森と海。 そのようなのびのびのとしたロケーションの中にいると、人間はもって生まれた特性をにわかに増長させます。


たとえば、チミツ派は、キャンプに行く前から綿密なスケジュールを立て、料理の仕込みにも精を出し、現地では手際よく料理を並べ、味つけにも張り切り、食器の後片づけを率先して行い、最後には道具の手入れまでこなしてしまいます。


彼らの合言葉は、「アウトドアは快適に」。


このようなチミツ派がキャンプを仕切っているときは、そのスケジュール管理にはどこまでも従順に従うことが肝心です。 これは楽です。 料理が出たら「おいしいよぉ!」と絶賛しておけば、彼らは気をよくして、最後までやってくれるのですから。


ブショー派リーダーのもとでは、こうはいきません。 ブショー派は、暑かろうが、寒かろうが、雨が降ろうが、季節や気候に頓着せず、思いついたときに出かけ、周りの人にはこげ飯と焼き芋だけの食事を与え、みんなが焚き火の煙攻撃にさらされても、あっけらかんとしています。 もちろん、料理に使う道具もほとんど出しませんから、後片づけも気楽なもの。


彼らの合言葉は、「不便を楽しもう」。


ブショー派がキャンプを仕切っているときは、覚悟を決めて「どうでもいいや」と開き直ることが肝心です。


顔が焚き火の煙で煤けようが、髪がカサカサになろうが放っておきましょう。 ひょっとしたら、顔も手足も泥だらけになって遊んだ子ども時代の感性がよみがえるかもしれません。


このようにフィールドでは、行動、会話、しぐさなどにおいて、ブショー派とチミツ派の対比がくっきりと浮かび上がります。


もし、そのような家族がキャンプ場にいたら、きっと見物しているだけでも面白いはずです。 「あ、あそこのウチは、お母さんがブショー派で、お父さんがチミツ派か…。うちとは逆だな」 …なんて、自分の家族を振り返りながら見ていると、なかなか勉強になります。キャンプ場は、バードウォッチングだけでなく、ヒューマンウォッチングもできる絶好の場。 周りの人を眺めているうちに、案外、自分の欠点やカミさんの良さなどが発見できたりするものです。


【町田の感想】 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■


「仲の良い夫婦」というものを子細に観察すると、この池田さんが書かれているように、性格的にはまったく正反対の場合がほとんどです。


この違いというのは、共に暮らした年月がいくら重なろうが、まったく近寄り合うことはありません。 つまり、お互いが、それぞれ自分にない特性を相手に見つけることによって、夫婦は癒されたり、励まされたり、勇気づけられたり、慰められたりするからです。


だから、お互いのキャラクターの振幅が激しければ激しいほど、夫婦の絆は逆に強まります。

なぜなら、あまりにも自分に理解できない「性格」というのは、もうウシやカエルやシロクマの「性格」と同じようなもので、人は最初から理解しようと思わないからです。 理解する気にもならないものには、人間は意外と優しくなれます。


ところが、なまじ相手の性格が理解できる近い位置にいると、そうはいきません。 恋愛中には、「お互いに性格が似ているため何でも理解しあえる」と喜んでいたことが、逆に、結婚すると鼻についてくるものです。


人は、似たような者同士の、ちょっとした「違い」にはものすごく敏感になります。なまじ似ているからこそ、かすかな違いが、かえって許せなくなるのです。 ケンカしても相手の腹が読み合えるので、それぞれ自己嫌悪も加わって、ますます悲惨な状態になります。


だから離婚の原因に多い「性格の不一致」というのは、性格が離れすぎているからではなくて、実は極めて性格が近いケースが多いのです。


池田さんの今回のエッセイは、仲の良い夫婦の秘密を教えてくれる格好のテキストです。 夫婦の絆は、性格の一致がもたらすものではなくて、性格の不一致を面白がれる精神から生まれます。 そのことが、「神様が人間にその両極を与えた方が、人間たちも退屈しないだろう、と考えてくださったからなのかもしれません」という表現の中に語り尽くされています。


いやぁ、池田夫妻は楽しそう。 池田さん、ゴチソウさまでした!

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